「小田原一夜城」とは、衆知のとおり豊臣秀吉が天下統一の最後の強敵である小田原城の北条氏と戦うために、秀吉らしく陣地として城まで作って北条氏に威圧感を与えた。山の頂上の林の中に約3ヶ月掛かって作り、小田原城から見える側の林の木を切り倒し、一夜にして城が出来たように見えたことから一夜城と言われている。現在は立派な石垣の一部が残っているが城はない。
「のぼうの城」とは、埼玉県行田市にあった「忍城」のことであるが、城主が小田原城に北条氏の援軍として出陣した後、留守になった城主の代理(城代)を務めたのが「のぼう様」と百姓達からも慕われていた成田長親である。城主の父の弟の子供つまり従兄弟である。
「のぼう様」とは、「木偶(でく)のぼう」から「木偶」を取って愛称にしたものである。普段は「木偶のぼう」を装っているが、要所ではとてつもない決断をする男である。
そして行田市の忍城は、小田原城北条氏の配下に有ったため、秀吉の小田原城攻めの一環として、小田原一夜城から石田三成の2万5千人の軍勢に攻められる。忍城に先立ち攻撃された館林市の館林城は無血開城し館林城の軍勢も石田三成の軍勢に加わっている。
石田三成の家臣が忍城へ行き、城代である長親に「戦うか開城か」と聞くと、城主が「天下の秀吉に勝てる訳がないから無血開城しろ」と言い残して行ったのに、開城の条件に我慢できないと言って「わしは戦う」と答えてしまい、忍城の軍勢5百人で石田三成の軍勢2万5千人と戦い、勝利してしまう。
当時、小田原城北条氏は関東一円を配下にしていて25の支城があったが、秀吉の軍勢と戦ったのは、唯一、忍城のみであったが、小田原城が先に落城したので、結局、忍城も開城せざることになった。
最後に石田三成が忍城に来て開城の条件を示すが、石田三成の家臣が付け加えた条件に腹を立て、長親は「まだ戦がし足りないなら、存分にお相手致す」とまで言い放す。
結局、今度は逆に、長親から開城の条件を出し、石田三成に承諾させていまう有り様である。その条件とは、忍城の回りは湿地の田畑で戦のために石田三成の軍勢が撒き散らした土俵を片付けて行ってくれ、百姓が田植えが出来ぬと言うもので、了解させてしまうのである。(※映画は、石田三成の軍勢が田畑の土俵を片付けているシーンで終わる。)
忍城の城主である成田氏長は、小田原城に援軍に行くが、秀吉に密使を送り、「忍城は無血開城する」と約束したのに戦をしてしまったために、秀吉が徳川家康にその密書を小田原城北条氏に届けさせて、氏長の北条氏裏切りをばらし、打ち首の儀式中に、小田原一夜城が出現し儀式中断、北条氏が戦意を喪失し、「去りたい者には去らせるがよい」と間一髪で命が救われ、一夜城の秀吉に1千両で助命を願い約束された。(※この部分は映画にはない。)
また忍城城主氏長の娘・甲斐姫は石田三成が示した忍城開城の条件の1つとして秀吉の側室に出され、秀吉の寵愛を受け、会津の蒲生氏郷預かりになっていた父・氏長に所領をと秀吉に願い、後に栃木県烏山に3万石を与えられたとのことである。(※この部分は映画にはない。)
私は小田原一夜城跡が好きで何度も行っているが、出身地である埼玉県の忍城がリンクし、映画化されたことは大変嬉しい。
原作の上巻、下巻とも読んでから映画を見たので、分かり易かった。この映画は約400年前の史実に基づいた歴史物語であると字幕が最初に出るが、実際には1590年7月のことで、小田原城落城が5日、忍城落城が16日である。
原作著者の和田 竜 氏が埼玉の小さき忍城にスポットを当ててくれたから、映画化までされたことに感謝しております。
小田原一夜城へ行くには、3月〜5月、9月〜11月の土日祝日に行くのが良い。小田原駅東口バス乗り場から観光地を巡る回遊バスが200円乗り放題で朝10時から16時まで30分毎に運行していて便利だ。また、バスの中と一夜城など観光スポットにボランティアガイドが居て無料でガイドしてくれるからである。

